日本の歴史上でも無類のイケメンプレイボーイとして知られる在原業平は、たぐいまれな和歌の才能の持ち主でもありました。
道ならぬ恋や人の世の無常、望郷の想いなど、人生のワンシーンの美しい言葉でつづった業平の歌は、現在の私達の感性にも響くものばかりです。
今回は、 在原業平の和歌について、百人一首や伊勢物語から秀逸な作品を厳選し、業平の人生と照らし合わせつつご紹介していきたいと思います。
目次
在原業平の和歌1:百人一首収録の代表作「ちはやふる…」
ちはやふる 神代もきかず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
出典:「古今和歌集」「小倉百人一首」「伊勢物語」他
不思議なことがよく起こったという神代でも、こんな不思議な話は聞いたためしがない。
竜田川の水面を深紅の紅葉がおおい、流れる水をしぼり染めにしたように紅に染め上げてしまうなんて。
六歌仙(ろっかせん)にも数えられる在原業平の代表作といえば、在原業平朝臣(あそん)として百人一首の17番目「ちはやふる」の和歌がなんといっても有名です。
鮮やかな秋の情景を詠んだ非常に色彩豊かで華麗な歌ですが、実は業平のプレイボーイぶりがうかがえる一首でもあります。
上記の歌は、実際の情景ではなく「屏風歌(びょうぶうた)」という屏風の絵にそえられた和歌でした。
しかし、その屏風は業平とかつて恋愛関係にあった藤原高子(二条皇后)の所蔵品であったという裏があります。
天皇の妻となった元カノにささげたという点で、素晴らしい秋の歌というだけでなくとても興味深い背景をもつ作品です。
六歌仙は古今和歌集の序文である仮名序(かなじょ)で、 紀貫之(きのつらゆき)が選んだ6人の優れた歌人のこと。
在原業平の他、僧正遍照(そうじょうへんじょう)・文屋康秀(ぶんやのやすひで)・喜撰法師(きせんほうし)・大伴黒主(おおとものくろぬし)・小野小町(おののこまち)の5人ですが、六歌仙の名称自体は後世につけられたとされています。
在原業平の和歌2:スキャンダラスな恋歌「白玉か…」
白玉か なにぞと人の 問ひし時
露とこたへて 消(け)なましものを
出典:「古今和歌集」「伊勢物語」他
草の葉に宿る露を「ねえあれは何?白玉(真珠)かしら?」と、あの人が私にきいたとき。
「あれは露ですよ。」と答えて、私も露のように消えてしまえればよかったのに。
在原業平はプレイボーイとして名をはせた人物で「和歌知顕集(わかちけんしゅう)」には 生涯に3733人もの女性と関係したと記載があります。
中でも、天皇の妻になるべく大切に育てられた藤原氏の御令嬢である高子(こうし/たかいこ)とのスキャンダルは大変よく知られています。
上記は、在原業平がモデルの「伊勢物語」で、主人公の男が女を盗み出して二人で駆け落ちをするシーンの恋歌です。
「伊勢物語」では、女は鬼に食べられたとありますが、追っ手につかまり、業平と高子はあえなく引き離されたのが実際の話とされています。
大切な女性と引き裂かれたことを悲しみ、露のようにいっそ消えてしまえればと嘆く、 業平の悲恋の歌です。
在原業平の和歌3:忘れられない彼女「月やあらぬ…」
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
我が身ひとつは 元の身にして
出典:「古今和歌集」「業平集」「伊勢物語」他
月は(昔とは)違う月なのだろうか。春は昔と同じ春ではないのか。
私の身は昔と同じなのに、他の物は全て変わってしまったのだろうか。
上記の歌は、引き離され 宮中に上がってしまった元カノ藤原高子を想って業平が詠んだ和歌といわれています。
季節は春、梅の花が美しく咲き誇る夜に、ふと思い立ち、彼女が昔住んでいた家を訪れた業平。
ですが、彼女が引っ越してしまい去年とはすっかり様変わりした屋敷を、彼は目の当たりにします。
高子のいない今、私自身は去年と同じなのに、 美しい月も満開の梅も全く違って見えるという悲しくもロマンティックな恋の歌。
手が届かないからこそ忘れられない彼女への恋心がストレートに伝わってきますね。
在原業平の和歌4:ザ・日本人の心!桜の歌「世の中に…」
世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
出典:「古今和歌集」「伊勢物語」「和漢朗詠集」他
もしこの世の中に、桜がなかったら、もっとのどかに春が過ごせたことだろう。
桜はもう散ってしまうだろうか、もう少し咲いていてくれたら、とやきもきせずに済むのだから。
イケメンプレイボーイとして知られる在原業平ですが、素晴らしい和歌は恋の歌だけではありません。
仕えていた惟喬(これたか)親王のお供で狩に出向いた際に、業平が詠んだ桜の歌は、 私達日本人の桜に対する思いそのもの。
春になると桜前線の北上をチェックしてお花見の計画を立て、桜はいつ咲くだろうと心待ちにする。
咲けば咲いたで、美しい桜を一日でも長く見たいと天気を気にし、散り始めた桜を見て名残を惜しむ。
いっそなくなれば楽なのにと思ってしまうほど、 桜への強い執着が私達の心には根付いていますよね。
満開の桜の下の酒宴で詠まれたとされる本歌は、桜に対する特別な思い入れが現代でも大いに共感できる素敵な作品です。
在原業平の和歌5:かきつばたが隠れる「唐衣…」
唐衣(からころも) 着つつなれにし つましあれば
はるばるきぬる 旅をしぞ思う
出典:「古今和歌集」「業平集」「伊勢物語」他
何度も袖を通して身になじんだ唐風の衣のように長年慣れ親しんだ妻。
そんな妻の住む都を離れてはるばる遠くまできた旅を、しみじみとやるせなく感じている。
権力者の娘である藤原高子とのスキャンダルで、藤原氏にすっかり目をつけられてしまった業平は不遇の時代を過ごすことに。
上記の歌は、「伊勢物語」の有名な 「東下り」の段で、都を離れ東国への旅路で詠んだとされる業平の代表作のひとつです。
業平の東国への旅は、実話か創作かで見解が分かれますが、三河国の八橋(愛知県知立市付近?)で美しく咲くカキツバタを見て詠んだ和歌といわれています。
都に残してきた妻を恋しく思う内容ですが、 五七五七七の頭文字をとると「カキツハタ」つまり「カキツバタ」になるのことで有名。
都を離れたわびしい旅路にあってなお、技巧を凝らした和歌の創作に余念がない業平の風雅な貴公子のイメージが膨らむ一首ですね。
在原業平の和歌6:深い望郷の想い「名にし負はば…」
名にし負はば いざ言(こと)問はむ 都鳥
我が思う人は ありやなしやと
出典:「古今和歌集」「業平集」「伊勢物語」「新撰和歌集」他
「都」と名前につく鳥なら京の都の事情にも詳しいだろうから、お前にきいてみるとしよう。
私が恋しく思う人は、今も都で元気にしているだろうか。
在原業平の東国への旅路で、 隅田川に差し掛かった際に詠まれたとされる「都鳥」の歌はあまりにも有名です。
隅田川のほとりで、京都では見たことのない鳥をみかけた業平が渡し守に鳥の名前を尋ねると「都鳥」だと教えられます。
都と名前につくのなら都の恋しい人は元気か教えてくれないか、と鳥にさえ尋ねずにはいられない望郷の想いが伝わってくる一首です。
本歌は、今も隅田川にかかる「言問橋(ことといばし)」の由来となった和歌としてもよく知られていますね。
在原業平の和歌7:主君への忠義の心「忘れては…」
忘れては 夢かとぞ思う 思ひきや
雪ふみ分けて 君を見むとは
出典:「古今和歌集」「伊勢物語」「曽我物語」他
(あなたが出家されたことが)現実であるのを忘れて、やはりこれは夢ではないかと思ってしまいます。
このような深い雪を踏み分けて、あなたにお目にかかることになるとは思いもしませんでした。
在原業平は、 文徳天皇第一皇子の惟喬親王に仕えますが、親王は後見が弱く天皇に即位できませんでした。
病気を機に出家して比叡山のふもとに移り住んだ親王に、新年の挨拶をするため訪れた業平は、 わびしい庵のたたずまいに驚きます。
物悲しい様子をみるにつけ、かつて親王と過ごした華やかな日々が思い出され、業平はいたたまれない気持ちになったのかもしれません。
恋多きプレイボーイだった業平ですが、自身も両親共に皇族という高貴な血筋に生まれながら皇位を望める立場ではありませんでした。
親王30歳、業平49歳の年の歌とされますが、親子ほど年の違う 不遇の親王に自分の境遇を重ね合わせていたのかもしれませんね。
在原業平の和歌8 :実は恐妻家?「ゆきかへり…」
ゆきかへり 空にのみして ふる事は
わがゐる山の 風はやみなり
出典:「古今和歌集」「伊勢物語」「業平集」
行ったり来たりして空に漂う雨雲が山にとどまらないのは風が激しすぎるせいです。
私も奥さんがきつすぎるから、家にいつかず雨雲みたいに上の空であなたの元を去るのですよ。
沢山の恋人がいた業平ですが、惟喬親王のいとこでもある 紀有常(きのありつね)の娘を妻にしています。
上記の和歌は、妻が業平に宛てた「あなたはまるで雨雲みたいに離れていく」という文句の和歌に対する返歌。
結婚後に気に入らないことがあった業平が、昼だけ妻の家を訪れ夕方には帰るという嫌がらせを繰り返していた折の和歌です。
「なぜふらふらしているの」という妻のお怒りに、「だってあなたがきついから…」と悪びれず返す業平はさすがとしか言いようがありません。
とはいえ、業平は妻との間に長男の棟梁(むねはり)がおり「東下り」でも妻を恋しく思っているので、夫婦関係はそこまで悪くはなかったのでしょう。
妻の父である紀有常と業平は親しい仲だったこともあり、 恋多きプレイボーイも奥さんには弱かったのかもしれませんね。
在原業平の和歌9:イケメンにも訪れる老い「桜花…」
桜花 散りかひくもれ 老いらくの
来むといふなる 道まがふがに
出典:「古今和歌集」「伊勢物語」「業平集」他
桜の花よ、どうか散りみだれて辺りを曇らせておくれ。
老いがやってくるという道が、花びらでまぎれて分からなくなるように。
平安時代きってのイケメンプレイボーイにも、 老いは平等に訪れます。
上記の歌は、日本で初めて関白となった藤原基経の40歳のお祝いの宴に招かれた業平が詠んだ歌です。
業平は50歳を超えており、当時としてはいつお迎えが来てもおかしくない年齢。
「老いなんてものが来ないよう、桜の花びらよどうか道を隠してしまってくれ」というのは業平自身の切実な願いだったのかもしれませんね。
在原業平の和歌10:辞世の句「つひにゆく…」
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど
昨日今日とは 思はざりしを
出典:「古今和歌集」「伊勢物語」「大和物語」他
誰もがいつかは最後に通る道とは以前から聞いていた。
けれど、自分自身が昨日今日にもその道を通ることになるとは思いもしなかった。
最後にご紹介する在原業平の歌は、 病気になって心身ともに弱っていたときに詠まれた一首です。
業平は56歳でこの世を去りましたが、当時の平均寿命は30歳前後といわれているので長生きした部類に入ります。
最終官位は、蔵人頭従四位上右近衛権中将(くろうどのとうじゅしいじょううこんえのごんちゅうじょう)で美濃権守(みののごんのかみ)を兼ねました。
強力な後ろ盾のない元皇族の貴族としては、悪くない地位ですが、世が世なら親王や天皇も望めた血筋を持っていた人物でした。
自由奔放な貴公子のイメージが強い在原業平ですが、 恋や風雅に生きるしかなかった人生であったのかもしれませんね。
平安のプレイボーイ在原業平は歌もイケメン!
という事で、たぐいまれな和歌の才能を持った平安のイケメンプレイボーイ、在原業平の実像を、和歌を通しご紹介しましたがいかがでしたか。
モラル的に問題ありな部分もある業平ですが、時代を超えて私達の心に響く多くの優れた歌を残した彼の才能は疑うべくもありませんね。
以上、「在原業平の和歌10選!百人一首や伊勢物語の作品から平安のイケメンの実像に迫る!」を紹介しました。