清少納言は学校の国語や日本史の授業でも必ず習う有名な女性ですが、彼女の性格は多くの専門家が興味を持つテーマでもあります。
平安時代を代表する歌人であり女流作家であった清少納言の性格は、彼女の作品や当時の文献を通してある程度はかり知ることができるんです。
今回は、 清少納言の性格について、作品の評価や本名などのプロフィールから、紫式部・中宮定子の関係までエピソードを交えつつご紹介していきたいと思います。
目次
清少納言の性格の定説は?
清少納言の性格については、以下のような特徴が定説になっています。
・明るい
・サバサバしている
・機転が利く
・ユーモアがある
・男勝り
・気が強い
作品からもわかるように、清少納言は とても博識な女性で、明るくさっぱりした性格であったというのが多くの専門家の意見。
学校の授業でも、清少納言の代表作である「枕草子」と併せ、清少納言はサバサバした性格であったと習うことが多いですね。
性格や本名・作品の評価など清少納言のプロフィールは?
清少納言の性格を掘り下げてご紹介する前に、 彼女のプロフィールをwiki的にご紹介しておきましょう。
ニックネーム | 清少納言(せいしょうなごん) |
本名 | 不明 ※ 清原諾子(きよはらのなぎこ)との説がある |
生誕 | 966年頃 |
死没 | 1025年頃 |
配偶者 | 橘則光 藤原棟世 ※バツイチ |
子供 | 橘則長 小馬命婦 |
父親 | 清原元輔 |
職業 | 藤原定子付き女房・歌人・随筆家 |
代表作 | 枕草子 |
本名が不明なのは、今日まで知られている清少納言が、宮中に出仕していたときの女房名だからです。
清少納言の「清」は、苗字の「清原」からとられたもので、「少納言」は官職名ですが、多くは男性親族の官職が付けられます。
しかし、清少納言の場合、「少納言」の由来は諸説あり、実際のところ分かっていません。
藤原定子の女房として仕えていたときの経験を基に書かれた代表作「枕草子」は、 日本を代表する随筆分として高い評価を得ています。
代表作品から分かる清少納言の性格は?
清少納言が残した和歌や代表作の「枕草子」からうかがえる性格をエピソードも交えご紹介しておきましょう。
作品から分かる清少納言の性格1:明るい
清少納言について、多くの専門家が口をそろえるのが明るい性格ということです。
「枕草子」には、清少納言が、一条天皇妃である藤原定子に仕えていたときの楽しく華やかな宮廷生活のシーンが多々登場します。
リズム感のある軽快な文章で書かれたエピソードは、端的にすっきりまとめられていて非常に論理的。
「これは好き、あれは嫌い」という風に、はっきり言い切る明るく知的な性格が清少納言の書いた文章全体からうかがえます。
作品から分かる清少納言の性格2:感性豊か
清少納言の代表作「枕草子」といえば「春はあけぼの…」で始まる第一段が小学校の教科書にも登場するほど有名です。
春の朝の情景の描写からは、1000年以上前に書かれた作品とは思えない フレッシュな感性が伝わってきますよね。
第一段は「夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)」と四季折々の情緒がつづられ、色彩豊かで瑞々しい文章は時を超えて共感を得るクオリティーの高さです。
「枕草子」の第一段は。平安時代の美的概念がベースになっているものの、清少納言独自の深い洞察力や豊かな表現力が光っています。
「枕草子」から分かる清少納言の性格3:勝気
平安時代、漢文は男性の教養でしたが、清少納言は漢文の知識があることを隠さず、機転のきいたやりとりを男性とかわしています。
夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ
【現代語訳】
夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねをして私をだまそうとしても、この逢坂の関所は決して開きませんよ。
上記は、清少納言がボーイフレンドの一人である藤原行成に贈った歌ですが、 彼女の勝気な性格がうかがえるエピソードが。
行成はプレイボーイとして知られていた人物で、ある夜、清少納言を訪れ少し話をしたのち、夜明けを待たず帰ってしまいました。
翌朝、夜明けを告げる鳥が鳴いたのでとの言い訳の和歌を送った行成に対し、私は騙されませんよと返答したのが上記の和歌。
清少納言の返歌は、関所を早く開くため夜明けの鳥の鳴きまねをした中国の史記にある「函谷関(かんこくかん)の故事」が元ネタになっています。
「故事では役人をだまし関所を開けることに成功したけれど、私はだまされないわよ」という清少納言の勝気で機転に富んだ性格がうかがい知れるエピソードですね。
作品から分かる清少納言の性格4:コンプレックスも
清少納言というと知的でユーモアのセンスもある自信満々な性格と思われがちですが、 くせ毛がコンプレックスだったのだそうです。
真っ直ぐな黒髪が女性の美のシンボルだった平安時代なので、くせ毛に対するコンプレックスは「枕草子」の中でも言及されています。
宮中に出仕後間もない清少納言が、部屋が明るく自分のくせ毛が主の藤原定子にはっきり見えてしまうのが恥ずかしいと嘆く一幕も。
清少納言は不美人ではなかったと伝わりますが、 自分の容姿にはあまり自信がなかったとも言われています。
作品から分かる清少納言の性格5:芯が強い
清少納言は「枕草子」の中で、宮中の華やかなエピソードを数多く記しています。
しかし、彼女が「枕草子」を書き始めたのは、主の定子がひどい逆境に立たされていた時期でした。
天皇の寵愛(ちょうあい)を受けていた定子ですが、父の藤原道隆がこの世を去り後ろ盾が弱くなった 一族は没落の一途をたどることに。
やがて、定子自身も難産が原因で24歳の若さで父の後を追うようにこの世を去りました。
しかし、清少納言は、女主人が見舞われた大変な不運には一切触れず、華やかで楽しい思い出を書きつづることに徹しました。
「枕草子」は、部分的に定子亡き後に書かれており、 定子が最も輝いていた時代の回顧録的な存在でもあります。
恨み言ではなく、あえて明るく楽しいエッセイを仕上げたところに清少納言の芯の強さとプライドをうかがい知ることができます。
清少納言の性格からみた紫式部との関係は?
紫式部は、定子より遅れて一条天皇の妃になった藤原道長の娘 彰子に女房として仕えた女性で「源氏物語」の作者として有名です。
清少納言と紫式部は共に女房として宮中に出仕していた平安時代の女流作家で、ライバルだったという説もあります。
しかし、実際は二人が宮中に出仕していた時期が異なることから直接的なライバル関係ではなかったというのが定説です。
今風にいうと清少納言が 陽キャラ、 紫式部は陰キャラとされているため、性格的には合わなかったかもしれません。
とはいえ、後世でいわれている、清少納言VS紫式部の 直接的なライバル関係は実際はなかったと思われます。
紫式部の方は、「紫式部日記」の中で清少納言の批判もしているので、直接関係はなくても好感は抱いていなかったようですね。
清少納言の性格からみた藤原定子との関係は?
清少納言が宮廷で定子付きの女房として仕えたのはわずか7年の期間でしたが、清少納言の生涯で最も輝いていた時期でした。
「枕草子」の中にも 定子の美貌や聡明さを称賛する記述がそこかしこに見られ、清少納言が定子を深く敬愛していたことが分かります。
実際、定子はとても美しく魅力的な女性だったようで、彼女の一族が没落した後も一条天皇の愛情は変わりませんでした。
父の逝去後、一度は出家した定子を説得し還俗(げんぞく)させていることからも、一条天皇の深い愛情が分かります。
しかし、皮肉なことに天皇の寵愛があだとなり、権力者だった藤原道長に一層目をつけられる不幸に見舞われました。
清少納言は、定子亡き後、彼女の数奇な運命より、 美しく聡明だった魅力的な女主人像を後世に伝えたかったのかもしれませんね。
清少納言の性格をより深く理解するなら?
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清少納言が残した「枕草子」は、現代人が共感できる内容が沢山あり、じっくりと手に取って楽しみたい日本文学の名作です。
上記の 新装「枕草子」は、原文と注釈、現代語訳が付いた一冊で、原文の美しい語調を楽しみつつ、注釈と現代語訳でより深く内容を理解することが可能。
清少納言のみずみずしく明快な文章は、古典に興味を抱くきっかけにもなること間違いなしですよ。
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清少納言と「枕草子」について、より分かりやすい本をお探しならラノベバージョンもおすすめです。
上記の 「枕草子 清少納言の輝いた日々」は小説仕立ての分かりやすい内容で、小学中高学年から大人まで楽しめるおすすめの一冊となっています。
清少納言の性格を推理しつつ作品を楽しもう!
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という事で、清少納言の性格を中心に、プロフィールや紫式部や藤原定子との関係も併せてご紹介しましたがいかがでしたか。
清少納言は学校でも習うメジャーな女性ですが、意外と知られていない事実もあるので、参考としてお役立てくださいね。
以上、「清少納言の性格は?作品の評価や本名から紫式部や定子との関係までエピソードを紹介!」の記事を紹介しました。