スポーツの試合や学校の入学式、卒業式でもお馴染みの日本国歌 「君が代」ですが、2番や3番の歌詞があるという話をご存知でしょうか。

普段、私たちが耳にし、歌っている1番に続く2番や3番が存在するなら、どんな歌詞なのかとても気になりますよね。

今回は、 「君が代」の2番や3番の歌詞を中心に、作者や意味、そしてヘブライ語に聞こえるという噂についても実際にユダヤ人に尋ね真相を探ってみました。

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君が代に2番や3番の歌詞があるって本当?

様々なシーンで歌われる「君が代」の1番の歌詞は、「古今和歌集」に収録されている詠み人知らずの和歌が元になっています

君が代は 千代に八千代に さざれ石の

巌(いわお)となりて 苔のむすまで

現在、日本の法律で定められた、 正式な国歌の歌詞は1番だけで2以降はありません。

しかし、「君が代」が作られた直後の明治期には、今と違ったバージョンの歌詞が存在し、2番もあったことが分かっています。

更に詳しく調べてみると複数の3番以降の歌詞もあり、1番も含め全部で6種類ものバージョンが。

作者も制作年代もバラバラですが、全ての「君が代」の歌詞には、以下のような共通点があります。

・「君が代は」の歌詞から始まる

・5・7・5(6)・7・7・の短歌の形式

・昔の和歌集などの古典が出典

・「君」の末永い治世を願う内容

ということで、「君が代」の2番や他の様々なバージョンについて、引き続き詳しくご紹介していきたいと思います。

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君が代の2番の歌詞や作者・意味は?

現在の国歌「君が代」の公式の歌詞は1番のみですが、以下の 2番とされる歌詞がかつて存在していました。

君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれ石 

鵜(う)のゐる磯(いそ)と あらはるるまで

君が代の2番は、平安時代末期の武将であり歌人としても知られる 源頼政(みなもとのよりまさ)が詠んだ和歌といわれています。

和歌の意味としては以下のような解釈になるでしょうか。

あなた(天皇陛下)の御代がいつまでも長く続きますように。

深い海の底の小さな石が波にもまれ集まり、鵜のいる浜辺に打ち寄せられ磯を形作るまで。

千尋は、長さや距離、深さなどがはなはだしいことを指す古語。

上記の歌詞は「磯」のシーンの歌なので、「千尋の底のさざれ石」は、非常に深い海の底にある小さな石のことです。

深い海底の小石が波にもまれて浜辺に集まり、やがて磯を形成するほど途方もなく長い年月と同じくらい、天皇の御代が続きますように、との意味ですね。

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君が代の2番が存在した経緯とは?

参照元URL:https://youtu.be/FDRkHOW8j4w

現在の「君が代」は、1880年に宮内省雅楽課職員の林廣守(ひろもり)・奥好義(よしいさ)両氏が作曲、ドイツ人のエッケルトが編曲したものです。

しかし、現在の「君が代」が定着する以前に、 2番編成の全く違う曲の「君が代」が存在していました。

上記の動画の最初に紹介されているイギリス人作曲家ウェッブ作曲の「君が代」は、1881年編集の「小学唱歌集 初編」も収録されており、以下のような歌詞でした。

1番

君が代は 千代に八千代に さざれ石の

巌(いわお)となりて 苔のむすまで

うごきなく 常盤(ときは)かきはに かぎりもあらじ

2番

君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれ石の

鵜(う)のゐる磯と あらはるるまで 

かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる

上記の小学唱歌の「君が代」の歌詞は、「五七五(六) 七七」に「五七七」がプラスされた長歌の形式。

ですが、1番の前半部分は現行の「君が代」、2番前半も先にご紹介した源頼政の和歌と ほぼ同じです。

ウェッブ版の「君が代」は1882年刊行され、当初は小学校で教えられましたが、普及しませんでした。

しかし、 歌詞は短歌形式の前半部分が現在の「君が代」に受け継がれたわけですね。

割愛された後半の歌詞は、「蛍の光」や「蝶々」の歌詞で有名な稲垣千穎(ちかい)が編集に携わった際に創作したといわれています。

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君が代の2番より後の歌詞は複数候補がある?

「君が代」の2番は複数のブログやYouTubeなどで前述の歌詞が紹介されていますが、3番以降もいくつか候補があるのでご紹介しておきましょう。

君が代の2番より後の歌詞1

「君が代」の2番より後の歌詞については、ウィキペディアの「君が代」の項にも言及があります。

1985年の閣議での「君が代」の歌詞に関する 松永光太郎文部大臣の報告に基づくもので、前述の2番に加えて下記の3番もあるとのこと。

君が代は 限りもあらじ 長浜の

真砂の砂は よみつくすとも  

詠み人知らず 出典:「古今和歌集」

作者は不明ですが、「仁和の御べ」という 光孝天皇の大嘗祭(だいじょうさい)に詠まれた平安時代の歌です。

和歌の現代語の意味は以下のような解釈ができます。

あなた(天皇陛下)の御代はこれからも限りなく続いていくことでしょう。

長浜にある無数の砂の数を全て数えつくすほどの長い時がたったとしても。

長浜の場所は不明ですが、歌集の注意書きに「伊勢の国」とあるので、現在の三重県伊勢市周辺の浜辺と思われます。

浜辺の数えきれない砂の数を数えつくせるほどの途方もなく長い時間より、あなたの御代は長く続くだろうとの意味ですね。

1番・2番と同様に、 治世の永続性が浜辺の砂の数として例えられた歌詞となっています。

君が代の2番より後の歌詞2

明治23年頃の「生徒用唱歌」に収録された 「三大祝節頌歌(さんだいしゅくせつしょうか)」にも3番目の歌詞の記載があったといわれています。

当時は国歌ではなく、国のお祝いの歌と解釈されていたようですが、下記の歌詞が「君が代」の3番として載っていたとのことです。

君が代は 千代とも止(さ)さじ 天の戸や

いづる月日の 限りなければ

藤原俊成 出典:「新古今和歌集」

藤原定家の父であり自身も有名な歌人である藤原俊成が 六条天皇が即位した仁安元年(1166年)の大嘗祭で詠んだ一首で、意味は以下の通り。

あなた(天皇陛下)の御代は千年などと(具体的に)限って歌に詠むことはできません。

あなたの御代は天の戸を開いて大空に昇る月や太陽と同様に限りなく存在し続けていくのですから。

太陽や月は、沈んでも再びの大空に昇り、永遠に世界を照らし続けて途切れることはありません。

天皇の御代を太陽と月と同列に並べて永続性を詠んだ祝賀の歌というわけですね。

君が代の2番より後の歌詞3

以下の和歌も、年代は明らかではありませんが、明治期の小学唱歌の「君が代」の2番より後の歌詞として教科書に記載があったといわれます。

君が代は 久しかるべし わたらひや

いすずの川の 流れたへせで

大江匡房(おおえのまさふさ) 出典:「新古今和歌集」

承歴二年(1078年)に内裏で開かれた歌会での一首とされる上記の和歌は、祝賀の心を詠んだと注意書きあり、意味は以下のように解釈できます。

あなた(天皇陛下)の御代は、末永く続くに違いありません。

このわたらい(渡会)の地にある五十鈴川の流れが絶えないのと同じように。

わたらひ」は伊勢神宮のあるエリアの名前で、いく久しく続いていく天皇の治世を神宮境内を流れる五十鈴川に例えたわけですね。

君が代の2番より後の歌詞(オマケ)

最後の「君が代」の歌詞は、詠み人や出典が不明ですが、ウェブ上で言及されているブログがいくつか存在しています。

公式の「君が代」の歌詞であった可能性は低いですが、併せてご紹介しておきましょう。

君が代は 千代に八千代に 八千鉾(やちほこ)の

安らに研いで 針となるまで

詠み人知らず 出典:不明

八千鉾は沢山の矛(ほこ)、つまり沢山のヤリやナギナタなど柄の長い武器のことで、和歌の意味は以下のように解釈できます。

あなた(天皇陛下)の御代は、千年、八千年と末永く続くことでしょう。

沢山の矛を長い時間かけそっと優しく研いでも針のように小さくなるまで、長く長く御代は続くでしょう。

大きな矛の刃を研いで針のようになるまでの長い長い時間を、末永く続いていく天皇の御代に例えている和歌になります。

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君が代はヘブライ語でも意味が通じるって本当?

「君が代」の2番の歌詞や3番以降とされる歌詞を中心に見てきましたが、 「君が代」がヘブライ語に聞こえるという噂をご存知でしょうか。

日本人とユダヤ人は祖先が同じだという「日ユ同祖論」は広く言われており、「君が代」ヘブライ語説もそのひとつです。

「君が代」に関する興味深い説なので、実際に知り合いのユダヤ人に現代の「君が代」をYouTubeで視聴してもらいました。

結論から言うと、「なんとなくユダヤのお祈りのようなリズムではあるけれど、ヘブライ語には聞こえない」とのこと。

本当にヘブライ語に聞こえれば、非常に面白かったのですが、残念ながら、こじつけの部分が多い説なのかもしれません

君が代は2番以降も複数の歌詞があり奥が深い!

 

という事で、「君が代」の2番や3番とされる歌詞を中心に、ヘブライ語に聞こえるかの検証も併せてご紹介しました。

残念ながら、ヘブライ語説をサポートできる事実は見つかりませんでしたが、2番以降の様々な歌詞があり「君が代」は奥が深いですね。

以上、「君が代の2番と3番の歌詞!意味や作者、ヘブライ語みたいかもユダヤ人に聞いてみた!」の記事を紹介しました。

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