今でもとてもお美しい 雅子さま。

若い頃もとても美しく、世間から注目を集めていました。

今回は、雅子さまの若い頃を画像付きで紹介していきたいと思います。

皇太子さまとの馴れ初めなども紹介していきますので、ぜひ最後までご覧くださいね。

スポンサードリンク

雅子さまの若い頃を画像付きで紹介

雅子さまの若い頃からとても美人

現在もとてもお美しい雅子さまですが、若い頃からかなり美人でした。

まずは、雅子さまの若い頃の写真をいくつか紹介しましょう。

https://twitter.com/12_1_iron_opal/status/1071691860584747008

 

 

https://twitter.com/eucaly_p/status/999302282209447937

 

 

若い頃からとても素敵ですね。

かなり目を引く存在感のあるお顔立ちだと思います。

雅子さまが外務省時代に乗っていた車が報道された時は、その車が爆発的に売れたりしたことも。

若い頃からとても美しく、聡明だった雅子さまは憧れの存在であった人も多く、かなりの人気を集めていました。

スポンサードリンク

雅子さまのファッションに注目

雅子さまは ファッションセンスが良いということでも有名です。

では、雅子さまのファッションをいくつか見てみましょう。

気品があり、とても素敵ですよね。

赤や青などのハッキリした色が雅子さまはとてもよく似合います。

また、雅子さまは、同じ服でも小物を変えて着回しができるファッションセンスも持ち合わせています。

スポンサードリンク

雅子さまの生い立ちや若い頃は?

南部藩士・海軍大将を先祖に持つ小和田家の家系

雅子さまが皇室に入られた際に、雅子さまの実家である小和田家の家系図が公開されました。

その家系図には、南部藩士海軍大将が先祖に記されており、とても立派な家系だと世間に報じられました。

このことから、雅子さまは世間からも完璧な経歴を持つ皇族に相応しい女性だと話題になりました。

雅子さまは幼少期から海外生活が多かった

雅子さまは1693年(昭和38年)12月9日に長女として誕生しました。

出生時は世田谷区桜上水の外務省官舎に家族と共に住んでいたそうです。

雅子さまが 海外へと移住したのは1歳を過ぎた頃でした。

雅子さまの父である小和田恆(ひさし)さんが在ソ連日本大使館一等書記官に就任したことから、ソビエト連邦・モスクワ市に移住。

そして、2歳の終わり頃に雅子さまは同国の保育園に入園します。

保育園に通い始めた当初の雅子さまは、慣れないロシア語や集団生活に泣き出すこともあったそうですが、ロシア語もすぐに上達。

妹たちにもロシア語で話しかけたり、寝言もロシア語で言うほどだったそうです。

雅子さまが4歳の頃に、父の恆さんが国際連合日本政府代表部一等書記官に就任し、雅子さまは家族と共にアメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨーク市へと渡ります。

その後、雅子さまが7歳の頃に父の恆さんが外務大臣秘書官事務取扱に就任したため、雅子さまは家族と共に日本へと帰省しました。

雅子さまは学生時代からかなり優秀

雅子さまは世界トップクラスの学力の持ち主であることでもとても有名です。

雅子さまは帰国した1971年3月に、目黒区立原町小学校の1年生として編入しますが、同年5月に新宿区立富久小学校の2年生へ編入します。

そして、翌年4月に世田谷区の田園調布雙葉学園・田園調布雙葉小学校に編入し、1976年3月に卒業。

同年4月から多くの著名人・有名人を輩出している、田園調布雙葉学園・田園調布雙葉中学校・高校へと進学します。

しかし、雅子さまが高校生の頃に父の恆さんが在米日本大使館公使に就任したため、マサチューセッツ州ボストン市へ移住することになります。

雅子さまはマサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入し、優秀な成績を残しました。

そのことから、アメリカ政府が米国全体の 上位5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」を受賞。

また、ドイツ語科において、ドイツ政府運営の「ドイツ総領事賞」及び「ゲーテ・インスティトゥート賞」も受賞しました。

1981年にハイスクールを卒業し、ハーバード大学経済学部へと入学。

雅子さまは卒業までフランス語やドイツ語などの語学の勉学に励んだそうです。

1985年6月にハーバード大学を卒業後、日本へ帰国した雅子さまは翌年の4月に東京大学法学部第3類の3学年に学士入学します。

この時、なんと 100名中3名の合格だったそうです。

雅子さまは外交官としてご活躍

村角泰元大使の娘が 外交官になったことに刺激を受けて、雅子さまは外交官を志します。

1986年10月に外務公務員採用I種試験(外交官試験)に合格

翌年、東京大学を中退、外務省に入省し、経済局国際機関第二課に配属されます。

この頃、世間では女性初のキャリア官僚スーパールーキーなどと話題になりました。

1988年には外務省の研修留学として、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学。

1990年6月に研修留学から帰国し、7月には北米局北米二課に配属されました。

雅子さまはかなりの激務でしたが、外交官として仕事をしている姿はとてもかっこよく、雅子さまは多くの人の憧れの的でした。

スポンサードリンク

雅子さまと皇太子さまとの馴れ初めは?

雅子さまと皇太子さまとの出会いはエレナ王女の歓迎レセプション

雅子さまと皇太子さまが初めてお会いしたのは、スペインのエレナ王女の歓迎レセプションでした。

この頃の雅子さまは、外交官試験に受かったばかりでした。

そのため、雅子さまがオックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学した時には、「お妃候補」としてマスコミが押し寄せたそうです。

その時の取材に対して雅子さまは、

「私は外務省の省員として勉強をしに来ており、これからもこの仕事を続けたいと思っておりますので」

と答え、お妃候補は自分ではないというような返答をしたそうです。

1992年8月に帰国した雅子さまは、皇太子さまと再会し、同年10月に千葉県市川市の新浜鴨場で皇太子さまが雅子さまにプロポーズ。

このプロポーズに対して、雅子さまはすぐには返事はせず、熟考した末同年12月に、皇太子さまからの求婚を受託しました。

実は雅子さまとの婚約が決まる前に、内定寸前まで話が進んだ方もいたのですが、皇太子さま自身が雅子さまへの思いを捨てることができず破談となったのだそうです。

それくらい、皇太子さまは雅子さまに惚れていたということになりますね。

結婚の儀の生中継は高視聴率を記録

雅子さまと皇太子さまの 結婚の儀は1993年6月9日に、国事行為として行われました。

結婚の儀当日は、「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」により、この年限りの臨時の休日に。

各テレビ局はほぼ全局長時間特別番組を組み、1日の流れを生放送で全国に放送しました。

その当時の視聴率をまとめてみました。

【NHK教育テレビを除く総世帯視聴率】

■結婚の儀:77.9%

■パレード終了直後の週間最高視聴率:79.2%

視聴率が77.9%79.2%というのは、今では考えられないほどの高視聴率ですね。

テレビ局別の平均視聴率ではNHK総合が最も高く、10時台に35.1%16時~18時に29.6%を記録していたそうです。

スポンサードリンク

新元号はさらに雅子さまに注目!

 

 

今回は雅子さまの若い頃について紹介しました。

2019年4月に新元号へと変わります。

新元号へと変わった後はますます雅子さまに注目していきたいですね。

以上、「雅子さまの若い頃は?昔の画像やファッション、結婚の馴れ初めは?」を紹介しました。

スポンサードリンク